ポケットに入るコンピュータ

ネットが普及して、生活の色んな面で便利な事が増えた。

 

その反面、ネット上にはディスりやヘイトスピーチも溢れかえるようになってしまった。

 

切なくて読んでいられない。

 

ネットに書き込む前に、本人と直接会って言えばいいのに。直接会えない相手なら、捨てておけばいいのに。

 

自分自身の言動を振り返りつつ、思う。

のまれないで行くということ

今朝もそうだけど

起きて何気なくテレビをつけると

憂鬱になるニュースがやたら多い。

 

今朝は長野県の防災ヘリ墜落事故とか

金正男氏殺害事件で、マレーシアと北朝鮮が国交断絶の危機とか。

 

暗いニュースに気持を引きずられないよう

今日もわたしはわたしらしく生活しよう。

小さな楽しみや喜びを探しながら。

 

事故に遭った人たちはお気の毒だ。

殺されてしまった人もお気の毒だ。

けれどわたしに何が出来るかと言えば、何もないんだ。

 

ならばわたしはわたしで、充足した一日を送れるよう

(肩肘張らず、だけれど)

淡々と過ごしていこう。

 

わたしにもわたしの、悩みはあるのだ。

みんな何かしら、しんどいことはあるのだ。

それでも作り笑いして、必死にしがみついて生きてるんだから。

わたしもしがみついて、作り笑いでもいいから笑ってみよう。

生まれて初めてのコンテスト

今週のお題「2017年にやりたいこと」

 

わたしは写真が好きだ。

好きで好きでたまらない。

何処へ行くのもカメラと一緒。

カメラを持ち歩いていないと、大きな忘れ物をした気分で楽しめない。

 

散歩でも用事で出掛けていても、行く先々で大抵いつも、目を奪われる「何か」に出会う。街中の素敵なポスターだったり道端に咲く花だったり、カラフルなスポーツウェアに身を包んで軽々と走るジョガーだったり。小枝に止まる野鳥も、モダンな都会のビルも、うわ~っと心躍るものに出会うと、そのシーンを、その一瞬をカメラに収めたくなるのだ。

 

わたしのはただの趣味だけれど、そんな風に心奪われた風景や動物や建物や、色んなものを撮り続けてきた。もうずいぶん長いこと、カメラはわたしの生活の一部になっている。

 

ニコンソニーがそれぞれ主催して、フォトコンテストを開催している情報を見つけた。それで、エントリーしてみたくなった。50を目前に生まれて初めてのコンテスト参加。力んで「入賞するぞ!」なんて思ってはいない。消極的なのだけど、わたしがこれまで撮りためてきた写真の中から、「ああ、この写真を撮った時はこんな気持だったんだ」とか、「あんなことを思いながら撮った一枚だ」というのを思い出しながら、何枚か公募した。消極的なくせに、ひっそりとわくわくしている。

 

今わたしは自分に自信がなくて、自信が持てなくている。

仕事もなくて、社会との接点も持てず、自分はダメな奴だという思いに囚われている。そんな自分を変えたい。ずっとそう、思ってきた。

 

だから、入賞とか優勝とかナントカ大賞みたいなものを狙うより、わたしの中のマイナス思考を克服したくて参加した。それが本音かな。

 

写真はわたしにとって、自分の感情を表現する手段だ。悲しい時は悲しい写真を撮るし、心躍る時はダイナミックな写真を撮る。見る人にどう伝わるは分からないけれど、わたしは写真を撮る時、自分の感情をありのまま映す。というか、そう心掛けている。

 

生まれて初めてのコンテスト参加。

 

世界中のエントリーの人達が、どんなシーンを、どんな風に表現するのだろう。それを見るのが楽しみでたまらない。写真を撮っている時だけわたしは、自分の中の劣等感から解放される。わたしはプロの写真家ではないけれど、自分の中の劣等感を克服して、今まで出せなかった勇気をふり絞って、新しいことに挑戦してみたい。2017年は、今までやったことのないことに挑戦して、自分の中の消極性とか劣等感を克服したい。結果は気にせずにまずは、新しい世界に飛び込んでみたい。それが写真に関わることだったら、素敵だろうな。

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